横浜地方裁判所 昭和63年(ワ)1070号 判決 1989年8月30日
原告 甲野花子
右訴訟代理人弁護士 坂本堤
被告 乙山春子
右訴訟代理人弁護士 佐藤嘉記
主文
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告は原告に対し、金五五〇万円及びこれに対する昭和六三年四月二七日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
3 仮執行の宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
主文と同旨
第二当事者の主張
一 請求の原因
1(一) 原告は昭和四七年八月二日訴外甲野太郎(以下「太郎」という)と婚姻し、その後長女夏子(昭和四八年一二月三日生)、長男一郎(昭和五一年六月一九日生)を得て家庭生活を営んでいた。
(二) 被告は、太郎が昭和五一年三月に設立した会社の仕事を通じて同人と知り合い、同人に妻子があることを知りながら昭和五五年夏頃から肉体関係を結ぶ間柄となった。
(三) 原告は、被告と太郎との関係を昭和五六年七月七日に知ったが、太郎は同年一二月から家を出てアパート暮らしをするようになり、被告との関係を継続していたため、同五七年一〇月二六日太郎と協議離婚した。その後同六一年に至って原告は、被告は太郎との関係が清算されたものと思い、同年四月四日太郎と再度婚姻し、同月二七日同人と共に転居した。
2 ところが、被告は直ぐに右転居先を突き止め、原告と太郎との復縁・再婚を知りつつ太郎と外泊したり、丹沢や片山津温泉に一緒に出掛けたり、公園や太郎使用の駐車場で逢い引きを繰り返して度々肉体関係を結んだうえ、原告宅に嫉妬からしつこくいやがらせの電話をかけたりした。
3(一) 原告は太郎との生活の再建を信じて同人と復縁・再婚したが、このような被告の行為により原告と太郎との間の婚姻生活は破壊され、原告は夫たる太郎に対する貞操を要求する権利を奪われた外、家庭生活の平穏を侵害されたものであって、原告の精神的苦痛を慰謝すべき金額としては五〇〇万円を下らない。
(二) 原告は被告が誠意ある態度を示さなかったので本訴提起・追行を余儀なくされ、そのため本件訴訟代理人に対し請求額の一割に相当する五〇万円の支払いを約した。
4 よって、原告は被告に対し、前記不法行為に基づき、前記慰謝料五〇〇万円及び弁護士費用五〇万円合計五五〇万円及びこれに対する本訴状送達の日の翌日である昭和六三年四月二七日から完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。
二 請求の原因に対する認否
1(一) 請求原因1(一)の事実は認める。
(二) 同(二)の事実のうち、被告が昭和五一年三月に設立された太郎の会社の仕事を通じて同人と知り合ったことは認めるが、その余の事実は否認する。被告は同五六年二月太郎から仕事の話との口実の下に車でモーテルに連れ込まれ暴行によって肉体関係を強要されたものである。
(三) 同(三)の事実のうち、原告と太郎とが昭和五七年一〇月二六日協議離婚したこと及び右両名が同六一年四月四日再度婚姻したことは認めるが、その余の事実は不知。
2 請求原因2の事実のうち、被告が太郎と一緒に丹沢や片山津温泉に出掛けたことは認めるが、その余の事実は否認する。被告は原告と太郎との復縁・再婚によって太郎の暴行・脅迫から解放されたと思ったのであるが、昭和六一年五月下旬に太郎から強引に呼び出されてまたも暴行・脅迫を加えられ、同月下旬にはモーテルに連れ込まれて再び肉体関係を強要されたものである。
3 請求原因3(一)(二)の事実及び主張は争う。
第三証拠《省略》
理由
一 原告は、被告の行為により原告と太郎との婚姻・家庭生活が破壊され、原告の夫太郎に対する貞操要求権を侵害された旨主張するので以下検討する。
請求原因1(一)の事実、被告が昭和五一年三月に設立された太郎の会社の仕事を通じて同人と知り合ったこと、原告と太郎とが同五七年一〇月二六日に離婚したこと、右両名が同六一年四月四日再度婚姻したこと及び被告が右再婚後太郎と一緒に丹沢や片山津温泉に出掛けたことは当事者間に争いがなく、右当事者間に争いがない事実に、《証拠省略》を総合すれば、次の各事実を認めることができる。即ち、
1 太郎は昭和五四年頃運送業を営んでおた、自家用のトラックを使って電気部品を扱う会社と組立ての内職の主婦との間で部品と製品の運搬をしていたが、被告はこの頃二〇数名程の主婦に組立部品を振り分ける内職の仕事に従事していて太郎と知り合った。太郎は被告と仕事で接したり忘年会・新年会で同席したりするうち次第に被告と親しくなり、二人は知り合って一年半程経過した同五五年半ば頃個人的に付き合う間柄となり、仕事で会うのを含め週三回以上会っていた。
2 このように二人が個人的に付き合い始めてから半年程たった昭和五六年二月太郎は、仕事の話との口実の下に被告を呼び出して自己の車でモーテルに連れ込み、抵抗する被告を殴る蹴るの暴力で押さえ込んで肉体関係を持った。さらに、太郎は後日被告に対し、関係を持ったことを夫に暴露すると脅かし、拒み切れないでいる被告と車中で再び肉体関係を結んだが、二人はその後も二か月に一度の割合で肉体関係を持った。右の肉体関係では、酒乱の気がある太郎は飲酒のうえ暴行を振るって被告と関係する事が多かった。
3 太郎はこの間、手紙を週に何通も出したり、電話を一日に何度もかけたりして被告に対する愛情を示し、また、被告の夫に嫉妬したりした。一方、被告は太郎に妻子がいることは知っていたが太郎と肉体関係を結びその思いの程を告げられるうちに情を動かされ、同人を憎からず思うようになった。
4 他方、原告は、昭和五五年秋頃から夫太郎に被告から個人的な用件の電話がかかるようになり、太郎が仕事から帰宅後外出することが多くなったため、同人が被告と浮気しているのではないかと疑い始めていた。同五六年七月になって太郎から「好きな人がいるから別れてくれ」と言われて同人と被告との浮気を確信したが、この申し入れには応じなかったところ、同年末頃太郎は原告や子供の住む家(横浜市旭区《番地省略》)を出てアパートを借りて一人で暮らすようになり、被告はこの間、太郎の身の回りの世話をしたりして二人の関係は続いた。原告はその後、このような太郎と一緒になっていても仕方ないと考えるに至り、同人の離婚の申し入れに応じて同五七年一〇月二六日協議離婚届を了した。
5 太郎は原告との離婚後もしばしば飲酒して今まで以上に被告に暴力を振るい、二か月に一度の割合で被告と肉体関係を結んだ。こうして、太郎は三年間程被告の離婚を待ったが被告はなかなかその夫と別れず、太郎も子供のことや年老いた母親の世話があったため、原告との復縁を望むようになった。原告は太郎からの再三の申し入れを受け、二度と浮気をしないことまでは確約させなかったが同人を信じて復縁し、昭和六一年四月四日再度の婚姻届を了した。
6 原告と太郎とは再婚直後の同月二七日、新たな生活を送るべく前記横浜市旭区から原告肩書住所地(神奈川県厚木市)に転居した。太郎は生活を改める決意をして被告と別れ原告と復縁したものの、原告との生活は変わり映えせずつまらなかった。太郎は再婚して僅か約一か月後の同年五月三日には早くも、被告に電話をかけて呼び出し被告と別れるつもりはない旨言い、厚木の住所と電話番号を教えた。
7 太郎と被告が再会して一週間程した同月一〇日頃、太郎は被告を電話で呼び出し太郎のトラックの中で会ったが、その際、被告から自分とのことは忘れてくれと言われ冷たい態度を取られたため激怒し、棒で被告の両足を殴り付けた。さらに、その後も被告が思い通りにならないため、太郎は被告の着ていたエプロンを包丁で切り付け「逃げられると思ったら大間違いだ。お前だけを幸せにしないぞ。」と脅かしたが、被告は太郎の振る舞いがこのように凄まじいため、同月末頃には同人に求められるまま再び肉体関係を持つに至った。その後も太郎の態度は高圧的であり、被告の仕事が気に入らないとその会社に電話をかけて被告にいやがらせをしたりした。また、太郎はその頃自家用バスを使って旅行を企画する仕事を行っており、太郎はしばしば被告に同人の運転するバスの中でカラオケをセットしたりクイズを出したりするコンパニオンのような仕事をさせていたが、同年夏頃被告は太郎と一緒に丹沢へバス旅行の仕事に行ったことがあった。さらに、太郎はバス旅行の仕事の帰りに電話で被告を呼び出して太郎使用のバス駐車場で待ち合わせ、飲食後モーテルに行ったこともあった。
8 このようにして、最後に関係を持った同六三年二月までの間、太郎は被告に対し一か月に一度の割合で肉体関係を要求して関係を持ったが、被告は太郎からこのように強要された関係を続けるうちに同人との深みにはまり、同人から呼び出されるまま公園や駐車場で逢い引きを重ねた。被告は太郎とはいつでも別れたいと思っていたが同人との長い付き合いから抜けられず、同人に対して好きとか嫌いとかでは片付けられない感情を抱いていた。二人は本訴提起後も裁判のことで相談するため前記駐車場や寿司屋で数回会ったが、被告は太郎から裁判と仕事とは別だと言われて同年一一月六日・七日にバスの仕事で同人と一緒に下田に行った。
9 他方、原告はこの間の同六一年五月頃、太郎がまだ被告と付き合っていることを知って太郎をどがめたが、同人は「被告とは精神的な付き合いだから別れられない。それが厭なら出て行け。」と言った。そこで、同年夏頃原告は太郎の素行を確かめるため同人の跡を付けたり、探偵事務所に調査を依頼したりした。そして、原告は同六三年一月三〇日には、太郎がバスの仕事で被告と一緒に片山津温泉へ言った帰りに被告とモーテルに入ったのを目撃するに至った。原告は被告と太郎との関係に決着を付けさせることを決意し、同年二月一九日被告に電話をしてその旨伝え同年四月二二日本訴を提起したが、太郎は右訴えを取下げさせようと原告に暴力を振るったりした。現時点で原告と太郎とは離婚してはいないが、二人の間は冷え切っており、原告は家を出たいと思っている。
右のとおりであ(る。)《証拠判断省略》
右認定の各事実に基づき考察するならば、確かに、前記認定のとおり、被告は原告と太郎との復縁・再婚後、これを知りながら太郎と一緒に丹沢や片山津温泉に出掛け、公園や駐車場で逢い引きを繰り返し、さらには、モーテルに行くなどして、度々、かつ、継続的に肉体関係を結んでいたことが認められるのであるが、これまた前認定のとおり、太郎と被告とが右のとおり再び肉体関係を結ぶに至る発端については、太郎が被告を再々強引に呼び出して暴行・脅迫を加えたうえ関係を強要したことによるものであり、さらに、右関係継続の点についても、その後も絶えず、酒乱の気のある太郎の暴行・脅迫にさらされながら続けられたものと言えるのであるから(そもそも二人の最初の肉体関係は先に認定したとおり、前記復縁の五年前に太郎の偽りと暴力によって持たれたもので、このことがその後の二人の関係に影響していることは明らかであろう)、被告には太郎との肉体関係の端緒及び継続について責任はなく、太郎こそが全面的にその責任を負うものと言うべきである。もっとも、二人の前記復縁後の関係においては、かかる暴力等によらない情交関係もあったことは前認定のとおりであるが、これは長期化した男女関係に生じ勝ちな複雑微妙な感情に基づく一時的なものであったことも前記認定の事実から推認されるところであるから、このこと故に右判断が左右されるものではない。他方、原告と太郎との再婚後の婚姻生活は、前記認定の復縁に至る両者の動機・思惑からも窺えるように、当初から夫婦として最も基本となるべき相互の愛情と信頼とを欠き、しかも、原告は右再婚に当たりそれまでの太郎と被告との関係を知りながら、二度と浮気をしないことを太郎に約束させるなどの手を打っておらず(前記4、5)、しかも、同人は「私の場合、女性関係については被告でなくても十分あり得ることなので、二度としないというようなことは言いません。」と公言して憚らない人物であってみれば、原告としては、かかる状況下の夫婦関係において、かかる性向の夫たる太郎に対し貞操を要求することは非常に困難と言うべきである。
以上の次第で、原告と太郎との婚姻関係がほぼ破綻に瀕し、原告が夫たる太郎に対し貞操を要求し難いような状況下において、専ら太郎の暴力と脅迫によって被告が同人と肉体関係を結んだことをもって、社会的相当性を欠く違法があるものとし、原告の太郎との(再婚後の)婚姻・家庭生活を破壊し、貞操要求権を侵害した違法行為と断ずるのは当を得ないと言わざるを得ない。
なお、原告は、復縁後も被告から嫉妬などによるいやがらせの電話があって家庭の平穏を害された旨主張するが、これを認めしむる的確な証拠はない。
そして、他に、原告主張の被告の前記不法行為を肯認するに足る証拠も事情もないから、原告の右主張は理由がない。
二 以上により、原告の被告に対する本訴請求は失当として棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 樋口直)